月山の弥陀ヶ原−別名「御田原」ともいう。「いろは48沼」と呼ばれる多くの池糖が点在する。雲海の向こうに鳥海山が見える。

※松尾芭蕉は元禄2年6月6日月山へ登っている。芭蕉は『奥の細道』で次のように記している。
「 八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、身絶身こごえて頂上に臻れば、日没て月顕る。
笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。 」
「木綿しめ」は「ゆうしめ」と読む。「しめ」は「注連」のことで、紙縒(こより)で作った修験袈裟。はからずも今回、芭蕉と同じ「注連」をして踏査をした。

※なお、同伴した曾良は旅日記に次のように記している。
「 六日 天気吉。登山。三リ、強清水。二リ、平清水。二リ、高清。是迄馬足叶 。道人家、小ヤガケ也。
弥陀原(中食ス。是よりフダラ、ニゴリ沢・御浜ナドヽ云ヘカケル也。難所成。こや有)御田有。 」