湯殿山参籠所と大鳥居

※松尾芭蕉『奥の細道』は「惣て、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとヾめて記さず。」と記し、次の句を詠んでいる。
「 語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」

曾良は『旅日記』に「牛首コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラジヌギカヱ、手繦カケナドシテ御前ニ下ル」と記している。
そして
、「是 より奥へ持タル金銀銭持テ不帰。惣 而取落モノ取上ル事不成。」と現在も伝えられる神域の作法に触れている。
曾良の詠んだ句。
「 湯殿山銭踏む道の泪かな 」
曾良の『旅日記』によると、6月7日に月山御室を出て湯殿山に下り、昼頃月山に戻り、その日のうちに南谷へ戻っている。
この強行軍を曾良は「甚労ル」と書いている。