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2007年の山始めとして、近在の低山を歩くことにした。今しか歩くことが出来ない、低山である。国道303号近くに車を止めたのが10時21分。それから25000分の1地形図に図示されている志津山〜牛洞の古い峠道を探すが、よくわからない。まあいいやと、無理矢理の藪漕ぎ。倒木をまたいだり、くぐったりと、ひとしきり難儀をしてよじ登ると、あっけなく旧道を見つけた(写真左)。それから中部電力の巡視道の標識に沿って歩くが、途中で巡視道を外れて急な崖を直登。さんざんあえいだあげく、稜線に出た(写真右)。結果的には巡視道の指示通りで正解だったのだが、正月早々の低山歩きの醍醐味(?)を散々味わうこととなったのだった。 |
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しばらく南の権現山方面の稜線を歩いてから、北へと引き返す。牛洞坂の旧峠を越して鉄塔に出ると、東西に眺望が開けた。写真左は揖斐の平野部を見たところ。奥の谷は春日谷。左の山塊は池田山。右は小島山。ここからは稜線漫歩で三角点に出た。国土地理院の『点の記』によると、点名は「小野」となっている。四等三角点で、所在地は揖斐川町大字小野字梨林山348−7番地。こんなマイナーな低山を訪れる人もいないとみえて、プレートなども一切かかっていなかった。 |
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三角点から少し東に進むと、旧谷汲村深坂の集落が見え始めた。鉄塔で引き返し、今度は小野坂に向かって北へとしばらく歩いた後に、往路を引き返した。ただし、急な崖は敬遠し、今度こそ旧牛洞坂の峠道をたどって志津山へ下山した。あちこちうろうろしたおかげで、下山したのは14時18分だった。写真右は下山後に三ッ峰を振り返って。
※三ッ峰の呼称は国土地理院の地形図には表記がない。また、三角点の点名が「小野」であることは既に触れた通りである。「三ッ峰」としたのは、揖斐郡内の地名の悉皆調査に取り組み、その成果を報告した大著、揖斐郡教育会『岐阜県揖斐郡ふるさとの地名』(1992年)に谷汲村における私称地名としてその名が採集されていることによった。かつての揖斐川町、大野町、谷汲村の3町村の境界に位置するところからこのように称せられていたと考えて間違いないだろう。なお、三ッ峰の南にある権現山については「三ッ峰権現」の名が採集されている。
※今回の山行については他に触れておかねばならないこともあるが、それについては稿を改めたいと考えている。
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